2009年11月アーカイブ
2009年11月22日 03:02
イタリアのある高級メンズブランドをコントロールする佐藤さん。
このブランドのスーツは30万円位するそう。
私には到底買えそうもないブランドであるが、そもそも私の体系だとかっこいいスーツの寸法は全く合わない。
佐藤さんとの出会いはハワイで企業コラボのハンターをしていたころ。
ハワイのマーケティング・広告代理店で務めていた彼の紹介で大手ホテルの商標ライセンスの契約ができた。
とても誠実で動きが早く、いい関係でお仕事させていただいた。
日本の大手老舗デパートで勤務の後、ハワイで修業、帰国後は超高級イタリアブランドで責任重大なお仕事を任されている。
ハワイにいらした頃はかなりの安月給で奥様と苦労を重ねたそうだ。
こんな感じでハワイの日本食料理やで食事していたときに「なんか、同じ匂いするねえ」「ところでどこの大学でした?」と聞いたところ、なんと後輩であった。
偶然も偶然、私の水泳部の後輩の直属の上司が彼であった。
また、偶然にもその後輩、彼のとても美人な奥さんが受付嬢をしていたときにナンパしてお誘いしていたらしい。奥さんは丁重にお断りしたそうだが。ああ、それで正解!
結構自分の思い描いた道のりを歩んできた。
ハワイでは生活に苦労していたので、日本では条件が良くて自分得意分野や英語力が活かせるところを探していた。
本当に今の仕事ぴったりかも。
でも、彼も何かを追い求めている。
外資の会社だと日本の支社は全て本社やデザイナーの指示通りに動かないといけない。
日本の市場にあった、独自性のある展開は認められない。
イエスマンだけがいれば成り立ってもいける。
そんな会社に生き甲斐があるのか?
第3者からしてみるととても贅沢な悩みかもしれない。
でも、後悔しない自分の仕事人生を送るのに「本当にこれでいいのか」と思ってしまう。
自分らしさ、自分の独創性、活かせる環境がほかにあるのではないのか。
もしくはその自分を活かして好き勝手にできる自分の仕事を立ち上げるべきなのか?
用意周到な彼には思わず飛び込んでしまうということが苦手。
ついつい、責任の重い今の仕事に追われてしまう。
結構、用意周到でなくても飛び込んだ流れでそのつど、与えられたチャンスを活かしてのし上がっていく成功者も多い。
あんなことから始めたのだけど、今じゃこんなことで成功してます。なんて人とても多い。
全く違う話だけど、ワーウィックというベースギターのメーカーがある。
社長さん、初めて出た楽器の展示会で、ギブソンというメーカーのベース本体に勝手にヘッドをオリジナル型にして自分のロゴを付けて展示した。
ブースを訪れた人達が、「ギブソンに似ているけど、これ違うね」「ギブソンはもっとネックが細くて断然弾きやすいんだよ」なんて言っていた。
本人は「何言ってんだい、これは正真正銘のギブソンなのに…」と言いたかったがだまってお客さんの要望を聞いた。
そこで思いっきり考えられないほど細いネックのベースギターを作った。
それがワーウィックの始まりであった。
そのベースは一世風靡する新しいベースギターの市場を作り上げたのであった。
しかもボディはどこのメーカーにも似ていない独創的な形状に変化させて‥
やはり“自分がここに生きている”という証拠は人と違ったことで成功するのに限る。
途中経過がどうであれ、そこにたどりつけると結構面白い人生が開けるはず。
2009年11月18日 21:02
うれしい…
夜のミーティングを終えて、帰社したら‥
机の上にカードがあった。
社員オリジナルデザインのバースデーカードとメッセージ。
冷蔵庫の中にケーキとシャンパン。
「お体に気をつけて、私たちをひっぱって行ってくださいね。」
「素敵な会社になるよう頑張りましょう」
「いい会社にしましょう」
って書いてあった。
こういうのだめなんだよなぁ。
うるうるしちゃう。
感謝でいっぱい。
社員の為にもうんと頑張らなきゃ。
2009年11月16日 19:56
![]()
もう、7年前になるだろうか。
将来性のある、頼もしい友達が亡くなった。
その人は「本田博敬」さん。
彼は大学在学中に「アメリカに水球に行きたい」と全日本の監督から私の名前を聞いて連絡をしてきた。
アメリカの大学の入学手続きをしたりTOFELの予備校を紹介したり、カリフォルニアまで行った時に大学監督に彼のビデオを渡して説明をしたりと‥ 結局私が行った大学に彼も水球留学をした。
先日、仕事がらみで京都に行った時にそんな彼のお母さんとお姉さんに会ってきた。
京都の業者さんを紹介してもらいたいと話をしたら「もう、森平さんのことなら一日あけますので、何でも言ってください!お世話になってますから~」と、京都についたら車を用意してくれて、お姉さんが運転手に。本田家は女3人家族と使用人4人で80年の歴史のある和菓子屋さんを営んでいる。そのうち戦力の半分が私にお付き合いしてくれて、しかも夜遅くまで観光も入れつつお相手をしてくれた。申し訳なくて、申し訳なくて…
世話になった人が訪れる際には何よりも優先して目一杯のおもてなしをするのが礼儀という感じが伝わってきた。
結局、車で一時間かけて業者さんのところへわざわざ同行してくれた。
お母さんは本田君が子供の頃から、「文武両道」、「東京の大学に入りなさい」、「アメリカに行きなさい」、「優良企業に入りなさい」と本田君をマインドコントロールしながらおしりを叩いていた。「あなたはこうなるのよ!」と将来をイメージさせながら。
国体選手になった彼は明治大学でポイントゲッターに、そして留学先でもオールアメリカという優秀選手に選ばれ、日本に帰国後も東京三菱銀行で2年間の仕事を数か月でこなしてしまう、何をやっても一流の人間になった。
このお母さんについてくるのは息子さんだけではなかった。
本田君の後輩も京都に里帰りをすると必ず、まずは本田君のお母さんの所に顔を出す。
そして、近況の報告をして、お言葉をいただき、夜遅くなってから初めて実家に帰る。
誰よりもこのお母さんに報告することが優先なのだ。
体が大きく、横柄で、やんちゃで、限度を知らない、何事にもはみ出す暴れん坊の本田君をこのお母さんは小学校4年からは女手一つで育てていったのである。
道中、本田君の思い出話を沢山してきたし、聞いてきた。
こうやって思い出してあげることで彼も幸せかも知れない。
ただ、30代前半で亡くなった彼だが、その時その時を精一杯生きていた。
人の人生を何倍も濃く生き抜いた。
やれるだけのことはその時に目一杯やりきる。
悔いのない人生だったかも。
商談中もお母さんが「森平さん、今できることは精いっぱいやって!」と言って私もおしりを叩かれた。(言葉でですが)
頼もしい人生の指導者である。
7年前、海外出張の帰りに成田について携帯電話を見たとたん。
携帯にたくさんの伝言メッセージが入っていた。
本田君の周りの人から何度も何度も「森平さん大変だ。本田が‥」「すぐ病院に‥」「森平さんの事を意識がまだあるとき話していたから、是非来てください」と。
成田から病院まで直行したけど、間に合わなかった。
お母さんもお姉さんも本田君の事をどれだけ思っていたことか、「あの子はね。こんなだったんです…」なんて散々、手のかかる暴れん坊の話を聞くたびにお二人の愛情を感じた。
お父さんを早くに亡くしているそんな家族だからなおさら。
いつ死んでもいい様に今を精一杯、悔いの無い人生。
彼への厳しい指導はお母さんの大きな愛情の現れだった。
5年前にお線香をあげに訪れた時の写真 養老軒の前でギタリストのステファン・ベネットと





