2009年11月16日 19:56
偉大なる身近な指導者
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もう、7年前になるだろうか。
将来性のある、頼もしい友達が亡くなった。
その人は「本田博敬」さん。
彼は大学在学中に「アメリカに水球に行きたい」と全日本の監督から私の名前を聞いて連絡をしてきた。
アメリカの大学の入学手続きをしたりTOFELの予備校を紹介したり、カリフォルニアまで行った時に大学監督に彼のビデオを渡して説明をしたりと‥ 結局私が行った大学に彼も水球留学をした。
先日、仕事がらみで京都に行った時にそんな彼のお母さんとお姉さんに会ってきた。
京都の業者さんを紹介してもらいたいと話をしたら「もう、森平さんのことなら一日あけますので、何でも言ってください!お世話になってますから~」と、京都についたら車を用意してくれて、お姉さんが運転手に。本田家は女3人家族と使用人4人で80年の歴史のある和菓子屋さんを営んでいる。そのうち戦力の半分が私にお付き合いしてくれて、しかも夜遅くまで観光も入れつつお相手をしてくれた。申し訳なくて、申し訳なくて…
世話になった人が訪れる際には何よりも優先して目一杯のおもてなしをするのが礼儀という感じが伝わってきた。
結局、車で一時間かけて業者さんのところへわざわざ同行してくれた。
お母さんは本田君が子供の頃から、「文武両道」、「東京の大学に入りなさい」、「アメリカに行きなさい」、「優良企業に入りなさい」と本田君をマインドコントロールしながらおしりを叩いていた。「あなたはこうなるのよ!」と将来をイメージさせながら。
国体選手になった彼は明治大学でポイントゲッターに、そして留学先でもオールアメリカという優秀選手に選ばれ、日本に帰国後も東京三菱銀行で2年間の仕事を数か月でこなしてしまう、何をやっても一流の人間になった。
このお母さんについてくるのは息子さんだけではなかった。
本田君の後輩も京都に里帰りをすると必ず、まずは本田君のお母さんの所に顔を出す。
そして、近況の報告をして、お言葉をいただき、夜遅くなってから初めて実家に帰る。
誰よりもこのお母さんに報告することが優先なのだ。
体が大きく、横柄で、やんちゃで、限度を知らない、何事にもはみ出す暴れん坊の本田君をこのお母さんは小学校4年からは女手一つで育てていったのである。
道中、本田君の思い出話を沢山してきたし、聞いてきた。
こうやって思い出してあげることで彼も幸せかも知れない。
ただ、30代前半で亡くなった彼だが、その時その時を精一杯生きていた。
人の人生を何倍も濃く生き抜いた。
やれるだけのことはその時に目一杯やりきる。
悔いのない人生だったかも。
商談中もお母さんが「森平さん、今できることは精いっぱいやって!」と言って私もおしりを叩かれた。(言葉でですが)
頼もしい人生の指導者である。
7年前、海外出張の帰りに成田について携帯電話を見たとたん。
携帯にたくさんの伝言メッセージが入っていた。
本田君の周りの人から何度も何度も「森平さん大変だ。本田が‥」「すぐ病院に‥」「森平さんの事を意識がまだあるとき話していたから、是非来てください」と。
成田から病院まで直行したけど、間に合わなかった。
お母さんもお姉さんも本田君の事をどれだけ思っていたことか、「あの子はね。こんなだったんです…」なんて散々、手のかかる暴れん坊の話を聞くたびにお二人の愛情を感じた。
お父さんを早くに亡くしているそんな家族だからなおさら。
いつ死んでもいい様に今を精一杯、悔いの無い人生。
彼への厳しい指導はお母さんの大きな愛情の現れだった。
5年前にお線香をあげに訪れた時の写真 養老軒の前でギタリストのステファン・ベネットと
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